「さんまの歌」 佐藤春夫
あわれ 秋風よ 情あらば伝えてよ
男ありて 今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食らいて 思いにふける と
さんま、さんま
そが上に青き密柑のすをしたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならいなり
そのならいをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかいけむ
あわれ、人に捨てられんとする人妻と
妻に背かれたる男と食卓にむかへば愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸あやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや
さんま、さんま
さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたらせて
さんまを食うはいずこの里のならいぞや。
佐藤春夫。
明治25年に和歌山県新宮に生まれた。
少年時代より文学者たらんことを望み、
中学卒業後直ちに上京した。間もなく慶應義塾に入学したが
その傍ら堀口大学と交遊を深め
与謝野鉄幹・晶子夫妻の下に出入りし、
その他多くの同時代の文人との交わりを広げたという。
5年後、春夫は慶応義塾を中退した。
大正8年に、春夫は谷崎潤一郎と出会う。
春夫は潤一郎から文学的に大きな刺激を受け
兄弟同様の交際を続けた。
このころ、夫潤一郎に疎まれていたその妻千代に同情していた春夫の気持ちが
いつしか愛情に変わり、
やがて千代をめぐって春夫と潤一郎の間に確執が生じ
遂に両者は 絶交してしまった。
7年後、両者は和解し、潤一郎の了解を得て
春夫は潤一郎の妻千代と結婚することになる。
「さんまの歌」は、この絶交期間中に
自身が妻に逃げられた春夫の
千代に向けた思慕の歌であったのだ。
さんまのはらわたは苦い…
あわれ 秋風よ 情あらば伝えてよ
男ありて 今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食らいて 思いにふける と
さんま、さんま
そが上に青き密柑のすをしたらせて
さんまを食うはその男がふる里のならいなり
そのならいをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかいけむ
あわれ、人に捨てられんとする人妻と
妻に背かれたる男と食卓にむかへば愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸あやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや
さんま、さんま
さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたらせて
さんまを食うはいずこの里のならいぞや。
佐藤春夫。
明治25年に和歌山県新宮に生まれた。
少年時代より文学者たらんことを望み、
中学卒業後直ちに上京した。間もなく慶應義塾に入学したが
その傍ら堀口大学と交遊を深め
与謝野鉄幹・晶子夫妻の下に出入りし、
その他多くの同時代の文人との交わりを広げたという。
5年後、春夫は慶応義塾を中退した。
大正8年に、春夫は谷崎潤一郎と出会う。
春夫は潤一郎から文学的に大きな刺激を受け
兄弟同様の交際を続けた。
このころ、夫潤一郎に疎まれていたその妻千代に同情していた春夫の気持ちが
いつしか愛情に変わり、
やがて千代をめぐって春夫と潤一郎の間に確執が生じ
遂に両者は 絶交してしまった。
7年後、両者は和解し、潤一郎の了解を得て
春夫は潤一郎の妻千代と結婚することになる。
「さんまの歌」は、この絶交期間中に
自身が妻に逃げられた春夫の
千代に向けた思慕の歌であったのだ。
さんまのはらわたは苦い…